アンネのバラ・アオギリ二世・キョウチクトウの植栽
更新日:2019年1月15日
水生植物公園みずの森(下物町1091)において、「平和の象徴」とされている、アンネのバラ・アオギリ二世・キョウチクトウを植栽しております。お近くに寄られた際には、ぜひご覧ください。※水生植物公園みずの森には入場料が必要です。
アンネのバラ
2008年度草津市人権と平和研修ツアーにおいて、ホロコースト記念館(広島県福山市)より寄贈いただいたものです。
アンネの日記の作者、ドイツ生まれのユダヤ人少女アンネ・フランクは、1945年3月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で15才9ヶ月の生涯を終えました。
アンネの無事を祈りながら帰りを待っていた、父であるオットー・フランクさんに、ベルギーの園芸家デルフォルへさんから、アンネを偲んで、「アンネフランクの形見」と名づけられた新種のバラが贈られました。1971年4月4日、日本の合唱団とオットー・フランクさんとの出会いがあり、翌年のクリスマスに10株の「アンネのバラ」の苗木が贈られてきました。そのうち、1株だけが京都で根付き、翌春日本で初めて花を咲かせました。
1975年、オットーさんは再び10株を贈られ、それらが現在、日本全国で平和のシンボルとして美しく咲き香っています。
被爆アオギリ二世
2008年度草津市人権と平和研修ツアーにおいて、広島市より寄贈いただいたものです。
1945年8月6日、爆心地から北東へ約1.3kmの地点で被爆したアオギリは爆心地側の幹半分が熱線と暴風により焼けてえぐられましたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で青々と芽を吹きました。
その後、被爆アオギリは1973年平和記念公園に移植されましたが平和を愛する心・命あるものを大切にする心を後世に継承するため、被爆アオギリが実らせた種を発芽させて、育て成長した苗木が「被爆アオギリ二世」と名付けられています。
キョウチクトウ
2010年度草津市人権と平和研修ツアーにおいて、広島市より寄贈いただいたものです。
人類史上初めてもたらされた一発の原子爆弾によって、焼野原となった広島は75年間は草木も生えないと言われました。
被爆後、いち早く咲いたキョウチクトウは生き残った広島市民に復興への希望と勇気を与えてくれたもので、広島市の市の花になっています。
苗木は、被爆地広島が、世界の恒久平和を祈念して、全国に平和の輪を広げるために、平和記念公園にあるキョウチクトウを挿木して育てたものを、配布されています。
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