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くさつ歴史ギャラリー

更新日:2023年6月6日

「広報くさつ」に連載している「くさつ歴史ギャラリー」から、歴史資料・民俗資料を扱った回についてご紹介しています。
(令和2年度以降のもの。内容は広報紙掲載時から一部変更している場合がございます)

令和5年度

バックナンバー

吉田村絵図(草津市蔵)

同じ村でも土地を治めるお殿様が違う…!?


吉田村絵図(部分)

慶長5年(1600)、関ヶ原合戦を境に村々の領主支配に大きく変化が見られました。旧栗太郡(現在の草津市・栗東市など)の村々でも、こうした流れに逆らうことなく、この時期に領主による土地支配が大きく組み替えられました。その後全国的にしばしば領主の領地変えが行われるようになりましたが、元禄期(1688~1704)に至って大きく変動が見られ、この時に確定された所領配置が、以後おおむね幕末まで固定されることになります。

ところで、近江国内では彦根藩や膳所藩が支配する一村一領主が多いのですが、本市域を含む旧栗太郡や旧野洲郡などでは、ひとつの村を複数の領主が支配する「相給(あいきゅう)」と呼ばれる状態になっている事例が数多くありました。平井村などでは7人の領主がいる非常に錯綜した例も見られます。また、志那・吉田村では、中世以来の郷村(ごうそん)というかたちから近世の村として「村切り」を行おうとしましたが、両村の農民の耕作地が、相互に錯綜して所在したため村切り、すなわち境界を定めることができなかったケースもあります。村切りとは村の境界を画定し、相互の出入作(でいりさく)の状態を入れ替えて、他村に耕作地をもつ農民がいない状態をつくろうというものです。

吉田村では、慶長7年(1602)の検地帳で、志那村の農民が吉田村の農地を耕しているものを出作人として位置づけ二村を面的に区分けしようとしていることがうかがえますが、延宝7年(1679)の検地帳では、出作としては取り扱わず、吉田村の検地に志那村の役人が案内人として立ち会い、検地帳に署名捺印をしたことは、「吉田村」が「志那・吉田村」として扱われたということになります。元禄11年(1698)に500俵以上の蔵米取(くらまいとり)の旗本を地方知行に引き上げた「元禄の地方(じかた)直し」の結果、志那村171石のうち76石と、吉田村763石のうち631石は、天領と旗本の横田氏・酒井氏・斎藤氏からなる「志那・吉田村」、さらに淀領の「志那村」95石、「吉田村」131石からなる複雑な支配形態となりました。

この絵図は、吉田村の錯綜した領主の支配状況をうかがえる絵図で、耕作地一筆ごとの区画にそれぞれ「志那」「吉田」と、「横田様」「斎藤様」「酒井様」「朽木様」など領主である旗本の名前が記されています。耕作地に記載がないものは淀藩の所領で、着色されているのが吉田村、着色のないのが志那村となっています。絵図からは、隣り合う耕作地でも領主が異なるといった非常に複雑な支配形態ではありますが、実際の村においては仲睦まじくすることが議定として両村で取り交わされており、村のまとまりは決してくずれることはありませんでした。

(令和5年5月・草津宿街道交流館 八杉 淳)

PDFはこちら(PDF:820KB)

バックナンバー

昨年度以前の記事です。
各記事の内容は、PDFファイルをご覧ください。

令和4年度

古写真から辿る草津の歴史ーもうひとつの東海道と中山道の分岐点  PDF(PDF:1,144KB)
宮様のお食事はさぞかし豪華、と思いきや…?ー「和宮御方様 御下向御道中御次献立帳」(草津市蔵)PDF(PDF:1,078KB)
見ても読んでも楽しい!-歌川芳幾画「東海道中栗毛弥次馬 草津・大津」(草津市蔵・中神コレクション)PDF(PDF:1,284KB)
虫の音が聞こえてきそうー歌川国芳「近江国 萩の玉川〈諸国六玉川〉」(草津市蔵)PDF(PDF:1,218KB)
ハレの日のごちそうー茶弁当(草津宿本陣蔵)PDF(PDF:862KB)
鉢山で造られた東海道五十三次ー木村唐船作・歌川芳重画「東海道五十三駅鉢山図会」(草津市蔵・うばがもちやコレクション)PDF(PDF:829KB)
広重が描いた草津の風景ー歌川広重画「東海道五十三次之内 草津〈蔦吉版〉」・「五十三次 草津〈人物東海道〉」(草津市蔵・中神コレクション)PDF(PDF:917KB)

令和3年度

ゆるーい表情とポーズに注目。こんな鬼なら鬼も内?―横井金谷画「鬼玄象自画賛」(草津市蔵・中神コレクション)PDF(PDF:1,039KB)
「大正の広重」が描く近江―鉄道省編・吉田初三郎画『鉄道旅行案内』(草津市蔵)PDF(PDF:1,107KB)
断続的に伝わる絵画―岸駒「龍虎双幅」(草津宿本陣蔵)PDF(PDF:866KB)
最後の「大福帳」に記された人物とは?―「明治七年 大福帳」(草津宿本陣蔵)PDF(PDF:851KB)
「読み聞かせ」られたお殿様の言葉―「本多康禎 御直筆写」(草津市蔵)PDF(PDF:949KB)
姥ヶ餅から生まれた焼物―「姥餅火入」(草津市蔵・中神コレクション)PDF(PDF:776KB)

令和2年度

怒りの手紙が明かしたあの人の意外なプロフィール―「六角承禎条目写」(草津市蔵・春日家文書) PDF(PDF:816KB)
書に込められた思いとは―徳富蘇峰「聖蹟千秋存」(草津宿本陣蔵)  PDF(PDF:887KB)
おうちでも旅気分を味わいたい―歌川芳幾画「東海道五十三次滑稽双六」(草津市蔵) PDF(PDF:1,120KB)
明智秀満美談―歌川芳虎画「大津坂本城落城之図」(草津市蔵・中神コレクション)  PDF(PDF:1,096KB)
亡き主君を思う家臣と蓮の花―「田中七左衛門宛 狩野勇書状」(草津宿本陣蔵)  PDF(PDF:762KB)
描かれた春と子供の存在―巌谷小波「俳画散筆」(草津市蔵・中神コレクション)  PDF(PDF:733KB)

旧・くさつ歴史ギャラリー

令和元年度以前、このページにてご紹介していた記事です。

Vol.16 御家人浮世絵師と明治時代 PDF(PDF:416KB)
Vol.17 子どもを守った猩々―疱瘡除けの人形― PDF(PDF:291KB)
Vol.15 江戸時代のお金―寛永通宝― PDF(PDF:325KB)
Vol.14 浮世絵で化粧品宣伝!? PDF(PDF:190KB)
Vol.13 「東海道線旅行図会」(明治40年) PDF(PDF:326KB)
Vol.12 「福島正則禁制」 PDF(PDF:296KB)
Vol.11 「東海道五十三次漫画絵巻」  PDF(PDF:212KB)
Vol.10 豪商と皇女の食事 PDF(PDF:280KB)
Vol.9 歌川広重画「参宮上京道中一覧双六」 PDF(PDF:499KB)
Vol.8 描かれた幕末の草津宿―「草津宿割絵図」― PDF(PDF:335KB)
Vol.7 「田中九蔵本陣絵図」―田中七左衛門本陣絵図と比較して― PDF(PDF:353KB)
Vol.6  明治期の古地図―烏丸半島辺りの原風景― PDF(PDF:321KB)
Vol.5  昭和初期の草津名所の絵はがき PDF(PDF:270KB)
Vol.4  旅の愉しみ―駅弁掛け紙 PDF(PDF:307KB)
Vol.3  明治天皇、狼川を渡る PDF(PDF:161KB)
Vol.2  旅の必需品―あかり― PDF(PDF:189KB)
Vol.1  十返舎一九「東海道中膝栗毛」「続膝栗毛」と草津宿 PDF(PDF:298KB)

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教育委員会事務局 草津宿街道交流館
〒525-0034 滋賀県草津市草津三丁目10番4号
電話番号:077-567-0030
ファクス:077-567-0031

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