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こどもページ

更新日:2023年6月29日

江戸時代(えどじだい)ってなに?

保永堂版草津
「浮世絵」にえがかれた江戸時代の草津

慶長(けいちょう)8(ねん)(1603)に徳川家康(とくがわいえやす)江戸(えど)((いま)東京(とうきょう))に幕府(ばくふ)(政治(せいじ)(おこな)機関(きかん))をひらいてから、明治時代(めいじじだい)(むか)えるまでの(やく)260年間(ねんかん)を「江戸時代(えどじだい)」といいます。
電気(でんき)やガス、(くるま)などの機械(きかい)はまだ使(つか)われておらず、ちょんまげを()って、(かたな)()ったお(さむらい)さんがいた時代(じだい)です。


街道(かいどう)ってなに?

徳川家康(とくがわいえやす)は、全国(ぜんこく)(おさ)めるために、江戸(えど)各地方(かくちほう)(むす)道路(どうろ)をととのえました。(なか)でも(とく)大事(だいじ)(みち)を「五街道(ごかいどう)」と()んでいました。

五街道(ごかいどう)

  • 東海道(とうかいどう)江戸(えど)京都(きょうと)(むす)
  • 中山道(なかせんどう)東海道(とうかいどう)には(あぶ)ないところが(おお)かったので、()わりの(みち)としてつくられた
  • 日光道中(にっこうどうちゅう)徳川家康(とくがわいえやす)神様(かみさま)として(まつ)日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)江戸(えど)(むす)
  • 甲州道中(こうしゅうどうちゅう)江戸(えど)(てき)()めてきた(とき)将軍(しょうぐん)甲州(こうしゅう)((いま)山梨県(やまなしけん)など)へ()げるための避難経路(ひなんけいろ)
  • 奥州道中(おうしゅうどうちゅう)東北地方(とうほくちほう)(つづ)(みち)

五街道(ごかいどう)」のうち、東海道(とうかいどう)中山道(なかせんどう)はどちらも江戸(えど)京都(きょうと)(むす)んでいますが、この2つの(みち)合流(ごうりゅう)するのは草津(くさつ)だけでした。

宿場町(しゅくばまち)ってなに?

隷書版大津
「浮世絵」にえがかれた江戸時代の宿場・大津のようす

本陣(ほんじん)旅籠(はたご)(旅館(りょかん)のこと)などが(あつ)まっているまちのことで、街道(かいどう)沿()ってととのえられました。また、幕府(ばくふ)荷物(にもつ)手紙(てがみ)を、次の宿場(しゅくば)へと順番(じゅんばん)にリレーして(はこ)ぶための(ひと)(うま)(つね)準備(じゅんび)されていました。
東海道(とうかいどう)中山道(なかせんどう)出会(であ)うまちだった草津(くさつ)は、江戸(えど)京都(きょうと)大坂(おおさか)(大阪(おおさか))の(あいだ)()()する(ひと)荷物(にもつ)(あつ)まっていたため、とてもにぎわっていたのです。


本陣(ほんじん)ってなに?

草津宿本陣

本陣(ほんじん)」は、江戸時代(えどじだい)に、お殿様(とのさま)幕府(ばくふ)役人(やくにん)公家(くげ)(貴族(きぞく))、姫君(ひめぎみ)など、特別(とくべつ)(ひと)たちが宿泊(しゅくはく)したり、休憩(きゅうけい)をとった施設(しせつ)です。
草津宿本陣(くさつじゅくほんじん)は、寛永(かんえい)12(ねん)(1635)から本陣(ほんじん)としての役割(やくわり)()たしていました。建物(たてもの)は、(いま)まで(のこ)っている本陣(ほんじん)(なか)では日本最大級(にほんさいだいきゅう)(おお)きさです。


草津(くさつ)歴史(れきし)について、もっと()りたくなった(ひと)は…

草津宿街道交流館(くさつじゅくかいどうこうりゅうかん)史跡草津宿本陣(しせきくさつじゅくほんじん)では、()ども()けのイベント「草津宿(くさつじゅく)みちくさラボ」や、ポイントカードを用意(ようい)してみなさんの来館(らいかん)をお()ちしています。
(しょう)中学生(ちゅうがくせい)は、毎週土曜日(まいしゅうどようび)毎年(まいとし)5(がつ)5(にち)は、無料(むりょう)見学(けんがく)できます。

お問い合わせ

教育委員会事務局 草津宿街道交流館
〒525-0034 滋賀県草津市草津三丁目10番4号
電話番号:077-567-0030
ファクス:077-567-0031

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