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司書のおすすめ(「図書館だより」より)

更新日:2025年3月31日

毎月発行している「図書館だより」に掲載した「司書のおすすめ」です。本選びの参考にしてください。
資料によっては、貸出中の場合があります。詳しくはお問い合わせください。

『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』かまど/著、みくのしん/著(大和書房)2024年刊 一般書019.04【両館所蔵】

今までの人生で本を読んだ経験が1度もない人に、もしも本をおすすめするとしたらあなたはいったい何を選ぶでしょうか?
本書は、読書が大好きなかまど氏が、これまで読書をしたことが1度もない友人のみくのしん氏におすすめの本を紹介し、人生で初めて本を最後まで読み切ってもらおうという試みを行った様子をまとめたものです。
国語の教科書に載っていたから記憶に残っているかもしれないという理由で「走れメロス」をおすすめしますが、みくのしん氏の反応は芳しくありません。それでもかまど氏は、なぜ本を読むのが苦手なのか、どうすれば読めそうだと思えるかを丁寧に聞き取りながら、少しずつでも着実に読書を進めていけるよう友人をサポートします。
本書には、本を読むことが苦手だと思う人の正直な心情がわかりやすく提示されています。文字がすり抜けていくような感覚があり読むのが難しい、文章の中にひとつでもわからないことが出てくると気になって読み進められないといったみくのしん氏の意見は、読書に慣れている者にとってはなかなか気づけないことでもあります。
そして、それをしっかり受け止め、友人に合った方法で一緒に読書を楽しもうとするかまど氏の姿勢にも気づかされるところがあります。どれだけ時間がかかってもいいと肯定されることで、読書への苦手意識がほぐれ、みくのしん氏が安心しながら物語の世界に夢中になっていく様子には感動すら覚えます。
かまど氏も驚くほど豊かな感性を活かしたみくのしん氏ならではの初めての読書体験が一体どのようなものになったか、ぜひ確かめてみてください。
本が好きな人にも、そうでない人にも、読書の楽しさが伝わり、何かしらの発見があるのではないかと思える、新たな読書の形を示した作品です。(本館 福田)

『ダメじゃないんじゃないんじゃない』 はらだ 有彩/著(KADOKAWA)2021年刊 一般書914.6ハ【本館所蔵】

日常の中で、別にダメじゃないのになんかダメっぽいと思っていること、ダメと言われてなんとなく守ってしまっていること、逆にぼんやりと誰かにダメと言ってしまっていることがあると感じることはありませんか?
本書は、そんな「ダメ」だと思い込んでいることに対して、「本当にダメなのだろうか」と立ち止まって考えるエッセイです。男の子がコスメと生きることは「らしくないからダメ」? 産休・育休で仕事に穴を開けることは「迷惑だからダメ」? 名前のない関係で生きていくことは「何にもならないからダメ」? など、著者が実際に見聞きしたエピソードをもとに、「別にダメじゃないんじゃない?」という視点で感じたことを自由に綴っています。
ダメじゃないのにダメと感じる状況や背景を、歴史や文化、自身の経験とともに深掘りし、問題に切り込んでいく文章スタイルに、ユーモアあふれる発想やイラストがいいアクセントで、読みやすく、友人と会話をしているようなリラックスした気持ちで、様々な「ダメっぽいもの」について考えることができます。
読んでいると、「これ、感じたことあるな~」と自分の身近な出来事を改めて考えるきっかけになり、そもそも何を基準に「ダメ」なんだろうか、ダメとかダメじゃないとかで決めるものなのだろうか、と深く考えてみたくなりました。「この状況はおかしい」とモヤモヤしたり、怒りを感じることがあるかもしれませんが、本書のコンセプトである「深刻なことをふざけて考えてみる」に倣って肩の力を抜いて考えてみることで、不思議とすっきりした気持ちで「ダメ」と向き合うことができるように感じました。
クスっと笑えてふと考えさせられる、著者の絶妙な視点に触れ、日々なんとなく感じる「ダメ」について、「これって別にダメじゃないんじゃないんじゃない?」と思い始めている自分がいます。(本館 神村)

『幸せってなんだっけ?世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年』ヘレン・ラッセル/著,鳴海 深雪/訳(CCCメディアハウス)2017年刊 一般書302.3895【本館所蔵】

世界幸福度ランキングを御存じでしょうか?毎年国連の持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が「世界幸福度報告書」を発行し、世界幸福度ランキングを発表しています。上位を占めるのは「北欧」と総称される、フィンランド、デンマーク、アイスランド、スウェーデン、ノルウェーの国々です。本書は、イギリスの元編集者が夫の転勤を機にデンマークのユトランド半島へ移住し、「ヒュッゲ」と呼ばれるデンマーク由来の生活を体験した日々を綴ったものです。「ヒュッゲ」とは、家族や友人とゆったりした時間を過ごすことや家の中を整えてスローな時間を楽しむこと指します。社会保障の充実、医療費無料、教育費無料などから、デンマークは世界で最も貧富の差が少ない国とされており、2024年の世界幸福度ランキングは第2位でした。(日本は51位)著者はこの国での生活を期待を込めて「デンマーク的生活」と呼び日々を過ごしますが、1日の日照時間が短く、凍てつく長い冬には鬱々とした気分になったり、他国の国旗を掲げて隣人から刑罰の警告を受けたりと、良いことばかりでもありません。その度にジャーナリストとしてのネットワークを駆使して国内の各方面の有識者と連絡を取り、デンマークでの生活の疑問を解決していきます。隣人や有識者たちに、あなたの幸福度は10点満点中何点?と問うと、すべての人が8点以上の高い点数だと言います。お互いを信頼する、誇りを持つ、選択肢を減らしてシンプルに暮らす、おもいっきり遊ぶなど、やりがいのある仕事につき、家族や友人と過ごす豊かな時間がある生活にデンマークに住む人たちは満足しているようです。それはデンマークだけでなく、どの国に暮らしていても自分たちの生活を見つめなおすことで気持ちを前向きにしてくれるとも言えます。あなたの幸福度は10点満点中何点ですか?(本館 塩崎)

『ガラム・マサラ!』ラーフル・ライナ/著,武藤 陽生/訳(文藝春秋)2023年刊 一般書933.7ラ【南館所蔵】

インドのエンタテインメントといえば、ボリウッド映画やアカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞した映画『RRR』が思い浮かぶ。また、インドの文学といえば古典作品の『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』、アジア人で初めてのノーベル文学賞作家となったタゴールの『ギタンジャリ』、いずれも壮大な詩として有名だ。
そんなインドの多面性、歴史、過去、現在を存分に詰め込み、スピード感溢れるミステリとして昇華させたのが本書である。著者はインドのデリー生まれで、本作を発表したときは28歳、イギリスとインドで事業を営む若者である。
父親に殴られながら毎日チャイ屋台を引いて育った青年ラメッシュは、貧困からのしあがり、ニューデリーで教育コンサルタントをしている。裏口入学、替え玉受験、依頼人の支払い次第でどんな手も使い、富裕層の子どもを志望校に押し込むのが彼の仕事だ。このビジネスが成り立つ背景にはインドの苛烈な受験戦争がある。ラメッシュが依頼人の息子ルディに成り代わって受験する全国共通試験は、日本の大学入学共通テストと同様、大学入学への切符を得るための試験だが、「一万位以内に入れば将来が約束される」、しくじることは絶対に許されない試験なのだ。例年どおり替え玉受験に挑んだラメッシュだったが、なんと全国トップの成績を取ってしまう。天才少年としてもてはやされるルディと、ルディが稼ぎ出す大金の分け前を求めてマネージャーに収まるラメッシュ。クイズ番組の司会者となってますます有名になる裏で荒廃していくルディをカネの成る木としてのみ支えているはずのラメッシュだったが、恨みを持つ人間に誘拐されたことから、二人の関係は変わっていく。
憲法上は否定されてもなお人々の中に根付くカースト意識や埋まらない格差、女性蔑視、隣国との紛争など、現代インドが抱える闇を著者は「悪態をつく」セリフの中に巧みに描き込む。最後まで楽しく読ませながら、読後、私たちをはっとさせる作品。(南館 大西)

『枕草子のたくらみー「春はあけぼの」に秘められた思いー』山本 淳子/著(朝日新聞出版)2017年刊 一般書914.3セ【本館所蔵】

大河ドラマ『光る君へ』にはまっている。戦国時代がお好みの方は、平安時代の大河は面白くないと思っている節があるようだが、戦のない雅な平安時代の陰で繰り広げられている権力争いは千年後の現代の権力社会と何ら遜色なく(流石に毒を盛ったり、呪術を使ったりはしていないと思いたいが)毎回目が離せない。そして何よりも私が魅了されたのは、和漢の素養を持つ才女、中宮定子の問いに、機転と知性を持って賢明に応える清少納言とのやりとりだった。名場面「香炉峰の雪」など、機知の可視化によって、より定子と清少納言についてもっと知りたいと好奇心が膨らみ、手にとったのが本書である。
本書は、『枕草子』の世界を作品が書かれた経緯に照らしつつ紹介しながら、清少納言の創作の意図や章段の意味を著者がわかりやすく、興味深く読み解いてくれている。現代語訳も情景が浮かんで想像しやすかった。そして、タイトルにある「企み」!?にも、読書欲をそそられ読み進んだ。
定子が目指したのは、後宮をより確固たるものにし、後代からも崇められる後宮文化を築きあげることだという。そのために清少納言を筆頭に女房たちを指導し、積極性、自己主張、優雅な機知、庶民性を特徴とした最先端の後宮文化を花開かせたのだ。定子が女房たちをしっかりと見守っている姿は『枕草子』に記されている。一人一人の状態を気遣い、それぞれの持つ最大の力を発揮させるべく導いていくリーダー定子の振る舞いは、現代のリーダーにも通じる憧れの存在であり、様々なシーンに魅了されたことにも納得がいった。
誰もが学校で習う『枕草子』。記憶にあるのが章段暗記だけなのが悔やまれてならない。背景にある社会や歴史学的な事柄を知り、登場人物たちの心情をより深く想像して、千年前の世界に身を置くことができるのは、「読書の喜び」に他ならない。     
本書を皮切りに知的好奇心がどんどん広がって、源氏物語や紫式部、藤原道長などの本へと誘われていく。これもまた「読書の喜び」である。(本館 二井)

『インフォーマル・パブリック・ライフ』飯田 美樹/著(ミラツク)2024年刊 一般書361.78【南館所蔵】

ヴェネチアやパリ、コペンハーゲン…。旅先で、どこか惹きつけられる街に出会った事はないだろうか。本書は、そんな、人々を惹きつける街に共通するルールを解き明かしている。
『インフォーマル・パブリック・ライフ』とは、一言で表すと「気楽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない、あたたかみのある場所」だという。そして、まちをそんな場所にするための要素が何なのか、7年以上もの月日をかけて、筆者は研究した。そのきっかけは、子どもの誕生に伴い、幸せな家庭を築くことを夢見て、京都の郊外に引っ越したことだったという。
徒歩圏内にあるショッピングセンター、豊富にある公園、ウォーカブルでベビーカーも押しやすいその街で、なぜか筆者は孤独を感じ、その孤独を誰からも理解されなかったと本書で語っている。しかし、アメリカの郊外に住む専業主婦が、同じように孤独を感じていることを知り、そしてそれはインフォーマル・パブリック・ライフの欠如が原因であることを知る。
本書では、オープンカフェの存在が、インフォーマル・パブリック・ライフを生み出すための一つのカギとなっているのだが、車社会がいかにインフォーマル・パブリック・ライフを阻んでいるかについても言及され、筆者は「車社会を放置したままで街を活性化するのは無理がある」と言い切る。それは、歩行者空間がインフォーマル・パブリック・ライフを生み出す7つルールのひとつだからだ。そして、「世界では、街を、道を自分たちの手に取り戻すという動きが始まっている。」と語る。
 もし、不自由のない生活を送っているのに、なぜか孤独や生きづらさを感じている人がいるなら、本書でその理由がわかるかもしれない。(南館 杉谷)

『ミライの源氏物語』山崎 ナオコーラ/著 (淡交社)2023年刊914.6ヤ 【本館所蔵】

大河ドラマ「光る君へ」を見て、「源氏物語」に興味を持った方もいらっしゃるかもしれません。しかし、学生時代の授業の印象からか「源氏物語」は難しそうだと敬遠されることも少なくないようです。「源氏物語」に限らず、古典作品を読むときには、古文を読解することや、当時の社会規範や倫理観を理解することが大きなハードルになることが多いものです。
本書は、古典文法や執筆当時の時代背景から「源氏物語」を研究者のように読み解くのではなく、現代人だからこそできるやり方で「源氏物語」を楽しもうという試みで書かれたエッセイです。貧困問題、不倫、ジェンダーの多様性など、現代社会で直面することの多いさまざまなテーマで「源氏物語」を新たな視点から捉えなおしています。
たとえば、人と違う容姿を滑稽だと揶揄される末摘花は、現代でいうところの「ルッキズム」の問題にさらされているのではないかという切り口から、モラルだけでは割り切れない人の心に迫ります。
また、葵の巻での六条御息所と葵の上の車争いの場面は、「マウンティング」だと読み取れるのではないかという切り口から、人はマウンティングをいかに乗り越えていくべきかを考察します。
現代社会を生きる私たちが「源氏物語」を読んだ時に感じる率直な感覚や疑問を掘り下げることで、古典作品を通して私たちが抱えているうまく言葉にできないもやもやした感覚や社会の問題点が明らかになっています。
何より「源氏物語」を自分の感覚に素直になって楽しむ著者の姿勢は、古典文学と聞くだけで思わず難しそうだと身構えてしまう人にも、純粋に物語を味わうという読書の根源的な喜びを教えてくれるかのようです。     (本館 福田)

『客観性の落とし穴』村上 靖彦/著(筑摩書房)2023年刊行 一般書301【南館所蔵】

統計学が発達し、数値によって社会や人は統制可能で予測可能なものとなった。子どものころから成績で優劣が決まり、社会に出ると利益を生み出せるかどうかで評価される。本来指標としての数値が、いつの間にか勉強や仕事の目的や評価の対象となっている。数値から外れれば、「劣っている」とみなされ、社会の厳しい目にさらされてしまう。
本書では、客観性や数値に重きを置く社会の傾向を問い直し、一人ひとりが生きやすい社会のあり方について、客観性とは異なる、個別の経験と語りの視点から考えることをテーマとしている。
著者は、客観性自体を問題視しているのではなく、生活が客観性や数字に支配され、社会全体に序列や競争が広がっていることに問題を感じている。客観性や数値だけに重きを置くのではなく、一人ひとりの経験の「語り」に目を向けてみることにも注目し様々な事例が示されている。
子ども時代に薬物依存の母親をサポートしながら貧困を経験したショウタさんの語りには、「普通」という言葉が頻繁に出てくるが、使うたびにその意味が変化している。その変化からは、世間一般の「普通」と自身の感じていた「普通」の中で揺れ動く感情の様子やどんな対人関係と社会環境の中で生きてきたのかが見えてくる。そこには、母親をケアする「ヤングケアラ―」という客観的概念では捉えきれない生き生きとした姿が感じられる。
私自身、数字がすべてなのだろうかとふと疑問に感じることがある。苦しみを抱える当事者や彼らを支える人たちにしか分からない繊細な思いは、数値的なデータや制度では見えてこない。多様性が広がる今、数値だけでなく実際に見て聞いて物事を知ることの大切さに改めて気付かされた。(本館 神村)

『今日 Today』伊藤 比呂美/訳(福音館書店)2013年刊行 一般書931.7キ【本館所蔵】

「Today I left some dishes dirty(今日、わたしはお皿を洗わなかった)」本詩集は、こんな書き出しから始まります。この一節に共感されるお父さん、お母さんはどのくらいいらっしゃるでしょう。今日は片付けも出来なかった、掃除も出来なかったと落ち込んだ時期があった私は、すやすや眠るわが子の隣でこの詩を読みながら、自分だけじゃなかったととても安心しました。これは、誰が書いたのかも分からない、ニュージーランドの子育て支援施設の壁に貼ってあったものを編集者が訳者に翻訳を頼んだものだそうです。
詩の中で、「今日一日、何をしていたの?」という問いかけがあります。それに対して、「この子のために すごく大切なことをしていた」と、答えが返ってきます。また、「たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと」という言葉が、それでもいい、できなかったことよりもできたことを褒めてあげる、機嫌よく楽しかったことを数えて過ごせばいいと教えてくれます。きちんとしないと、完璧にやらないと、と毎日頑張っている人に、ちょっと肩の力を抜いてたまには適当でもいいんだよと語りかけてくれているような気がします。
また、英語圏でペットが死んだときに誰かから送られてくるという「虹の橋」という詩も載せられています。ペットを飼ったことがある人はもちろん、飼ったことがない人も心をきゅっと掴まれるような、愛しさがこみ上げてくる詩です。
名前も知らない誰かから届く優しいメッセージ。読めば5分もかからない、とても短いこの詩を私は何度も何度も繰り返し読みました。夜眠る前に、今日の出来事をゆっくりと振り返りたくなるような気持ちになります。落ち込んだときや辛いとき、勇気や力をくれるのは誰の言葉ですか?家族、友人、そして、その時々に出合った本が今の気持ちに寄り添ってくれます。(本館 塩崎)

『「おふくろの味」幻想誰が郷愁の味をつくったのか』湯澤 規子/著(光文社)2021年刊行 一般書383.81【南館所蔵】

著者の調査によると、「おふくろの味」が料理本のタイトルとして出現するのは1960年代であり、わずか40年ほどの間にさまざまな変遷を経て、消えていく。その時期はちょうど地方から都市に流入する人が増加した高度経済成長期から、核家族化、専業主婦の増加期と重なる。
当初の「おふくろの味」は、都市に出た若者たちの「望郷の味」という意味であり、「母の味」ではない。彼らの出身地、特に農山漁村において炊事は仕事の合間に家族の誰かが行うものであり「母」に特定されることはないからだ。また、同時期に農山漁村でも郷土の味を後世に伝えようとする動きがあったことから、故郷への思慕を青年期以降の男性がよく使う「おふくろ」という言葉で表現することが広く受け入れられた。その後、都市に出た若者たちが家庭を持ち、核家族の中で専業主婦となった「お母さん」が家族のご飯を作る姿が、理想的であり、あたかも古くからの伝統であるというようなジェンダーバイアスを孕んで社会に認識されはじめると、広告戦略やメディアの煽動も相まって、「おふくろの味」の意味は「母が手作りする家庭料理の味」に変化していく。
最終章では、「おふくろの味」を料理本に冠することがほとんど見られなくなった昨今、かつて「祖母から母へ、母から娘へ」といわれた家庭料理を著名な料理研究家の息子たちが自分の哲学やアレンジを加えて発展させていること、SNSでは老若男女問わず料理を楽しむ様子が配信されていることに注目している。
本書では「おふくろの味」がテーマになっているが、人間が創り出した概念はいずれも実は多様に移ろいやすいものである。「それに気づけば、私たちは他者や世界、そして自分に対して、少し寛容になれるのかもしれない」と、著者が料理を通して覗いた未来に明るい兆しを感じた。(南館 大西)

『旅する練習』 乗代 雄介/著(講談社)2021年刊行 一般書913.6ノ【本館所蔵】

2020年の春、語り手である小説家の姪、亜美(あび)が志望する私立中学校(女子サッカーの名門校)に無事合格した。折しも通っていた小学校が臨時休校になったのを機に叔父と姪は、我孫子を起点に利根川の堤防道沿いを歩いて鹿島を目指すというわずか6日間の『旅する練習』を計画する。
『旅する練習』とは、亜美は移動しながらサッカーの練習であるドリブルやリフティングをする。叔父は「ひとけのない風景を描写する」修練として、その場でノートに文章を書きつける。目的地を目指して「歩く、書く、蹴る」を繰り返す、叔父と姪それぞれの練習の旅のことだ。そして、最終ミッションはこの旅のきっかけとなった亜美の一言、「去年の夏、鹿島へサッカーの合宿に行った際、借りたままの本を返しに行きたい」だった。叔父は、国語が苦手で読書もめったにしない、サッカーが大好き、オムライスが大好きで「私の練習に不可能はない!」と屈託のない笑顔を見せる彼女の願いを叶えるため、鹿島までの道のほとんどでボールが蹴られるようなルートを選んで旅を続けていく。
叔父の修練である、山川草木などの風景や鳥獣虫魚の緻密な描写も素晴らしく、目の前にその景色や動物達の息づかいをも感じさせた。旅で通りかかるその土地々々の歴史にも触れ、土地について書かれた田山花袋や安岡章太郎、柳田國男の文章を巧に引用している。「柳田國男」、「カワウ」、「ジーコ」、「お不動さん」等の話で読者を充分に堪能させながら、主軸である姪との旅にも見事にシンクロさせているところがにくい。彼の手によって私達は予想もつかない場所へ連れていかれてしまうのだ。<この作家、なかなかやるな>と唸らされた。
読後はしばらく茫然としてしまうだろう。地方都市の平凡な風景、地続きの日常の中に、市井の内なる声や祈り、願いがこの物語に込められている。(本館 二井)

『ぼくの村は壁で囲まれた パレスチナに生きる子どもたち』高橋 真樹/著(現代書館)2017年刊行 一般書227.9【本館所蔵】

2023年10月、衝撃的なニュースが世界中を駆け巡った。ハマスがイスラエルに攻撃をしかけ、民間人など200人以上をガザ地区に連行したというニュースである。イスラエル側は、今回の攻撃をホロコーストと同様に扱い、ハマスの殲滅を掲げており、この戦争が終結する兆しが見えない状況である。
では、このようなことがなぜ起こったのか、特に日本人は、よくわからないという人が多いのではないだろうか。
本書は、パレスチナの現地取材などを通じ、子どもたちを含む現地の方々の生の声を記しているうえ、パレスチナ問題を歴史的にもわかりやすく書いており、この問題が宗教や民族的な争いなどというものではないことがわかる。
著者は、ホロコーストやアパルトヘイトと同じことが、70年以上も前から現在進行形で、パレスチナ人に対して続いていること、そして問題の根本は、パレスチナ人の人権が踏みにじられている現状を知りながら、国際社会が放置し、傍観し、もはや加担していると言ってもいいような状況にあることだとも伝えようとしている。そして、何よりパレスチナの子どもたちの苦しみと、絶望的な状況でも平和を取り戻そうとする人々の思いが、本書から伝わってくる。
著者は、次のように語っている。「個人が何かやったところで問題の解決につながるようなことはできないかもしれません。しかしだからといって、何もできないわけではありません。…まずチャレンジして欲しいことがあります。それは、『知ること』、『伝えること』、『行動すること』です。」
確かに、一人の行動が直ちに問題の解決につながるわけではないだろう。しかし、本書を読んで、小さなことでも自分ができることを考え、積み上げていきたいと思った。(本館 杉谷)

『ふるさとの手帖』かつお(仁科勝介)/著(KADOKAWA)2020年刊行 一般書 291.087【本館所蔵】

表紙ののどかな風景と青いスーパーカブの写真が印象的な本書は、数々の日本の風景写真を中心に構成された、ある旅の記録である。
著者かつお(仁科勝介)氏は大学生だった21歳の時、日本の全ての市町村をスーパーカブで巡るという壮大な旅を計画する。この挑戦のきっかけとなったのは、ヒッチハイクで行った九州一周だった。車の窓から知らない町の景色を見ているとき、自分は日本のことをまだ全然知らないと痛感したという。
日本には1,741の市町村があることを知った著者は、その全てを自分の力で巡ったら、やっと日本のことが分かったといえるのではないかと考え、長い旅に出発する。旅でのたったひとつの決めごとは、訪れた全市町村の風景を写真におさめることだった。そうしてできたのが本書である。
旅先で撮られた写真は、有名な観光名所や絶景ばかりではない。むしろ、下校中の子ども達や、道に咲く花、踏切を走る列車といった、ありふれた景色を写したものも多い。しかしどの風景にも、そこに住む人々の暮らしが感じられる。行ったこともなければ、名前さえ知らなかった場所も、誰かにとってはかけがえのない思い出や生活とともにある大切なふるさとなのだと気づかされる。
美しい写真を見ていると、つい穏やかで楽しい旅を想像してしまうが、本書を読むと決して順調で楽しいことばかりの旅ではなかったこともよくわかる。時に思いがけない困難に直面し、孤独で過酷な旅に心が折れそうになっても、進み続ける著者の姿には勇気をもらえる。
全市町村一周の旅を終えたとき、どんな景色が目の前に広がるのだろうという好奇心に突き動かされて旅を続ける著者に、旅で出会った景色が教えてくれた答えは、意外なものだったという。いったいどんな答えだったのか、ぜひ手にとって確かめてみてほしい。(本館 福田)

『聞く技術 聞いてもらう技術』東畑 開人/著(筑摩書房)2022年刊行 一般書 361.454【両館所蔵】

「なんでちゃんと聞いてくれないの?」という言葉を耳にしたり、感じたりしたことはありませんか?パートナーや家族、職場の人との関係が上手くいかなかったり、政治や社会問題で人と対立したりする時、人は正常に「聞く」ことができなくなってしまうそうです。
本書は、臨床心理士である著者が、人の話が聞けない、あるいは人に話を聞いてもらえない原因を紐解き、「聞く」ために必要なことや「聞く」ことのちからについて分かりやすく解説しています。
聞く技術として、「眉毛にしゃべらせよう」や「返事は遅く」など12の小手先の技術が紹介されています。しかし、これは人の話をちゃんと聞ける時に使える技術であって、自分のことに必死で人の話を聞く余裕がない時には通用しないのです。
話を聞けない要因には、「孤独」が大きく関係しているといいます。全身やけどを負ったある少女が治療で激しい痛みに苦しんでいる際に、ただ聞いてもらうだけで前よりもずっと痛みに耐えることができたそうです。自分の孤独を誰かが分かってくれていることで心にゆとりが生まれます。そこで、著者は、<「聞く」ためにはまず「聞いてもらう」ことからはじめよう>と言っています。特に当事者同士ではなく、第三者に聞いてもらうとよいそうです。聞いてもらう技術については、日常編と緊急事態編の二つに分けて紹介されています。
「聞いてもらえているから、聞くことができる。つながりの連鎖こそが必要です。」という言葉に、人と人とのつながりは大切だと改めて気づかされました。話を聞いてもらえる人がいることはとてもありがたいことであり、反対に誰かの話を聞くことはその人にとってとても大きな支えになると感じました。対人関係で悩んでいる人は多いと思います。心に大きな傷を負う前に、まずは「聞いてもらう」から始めてみませんか?(本館 神村)

『女の子がいる場所は』やまじ えびね/著(KADOKAWA)2022年刊行 一般書 726.1ヤ【本館所蔵】

2006年から毎年、世界各国の「ジェンダーギャップ指数」が発表されている。2023年、日本の順位は146か国中125位で、過去最低だった。そんな話をニュースなどで見聞きするたび「問題だ」とは思うものの、ジェンダー問題を取り上げた本には敷居の高さを感じてしまう人に、まず本書をすすめたい。
本書は、困難な環境で生きる女性をモチーフにした漫画を多く手掛けている漫画家やまじえびねが、新しい担当編集者からの提案に応えて描いた短編漫画作品である。物語の舞台はサウジアラビア、モロッコ、インド、アフガニスタン、そして日本。それぞれの国の10代の女の子が「女の子だから」直面する疑問、違和感、悔しさが、女の子の視点で描かれている。
モロッコに住む小学4年生のハビーバは、メガネをかけている。おばあちゃんの古い友人であるシャマおばさんに「娘の人生は容姿に左右される。勉強ができるなんて男の反感を買うだけ」と言われて憤慨するが、シャマおばさんの背中にある大きな傷跡が「字が読めない」ことによってできたものだと知り、苦しく悲しい気持ちになる。インドの少女カンティは、ママの再婚でお姫さまのような部屋を手に入れた。家事や弟の世話で学校を休みがちだったのが一変して、ミッションスクールに通い、家庭教師もつけてもらっている。しかし、何不自由ない生活を与えてくれる新しいパパには、困窮する女性の弱みにつけ込む一面があった。自分には何もできないのかと嘆くカンティは、ある決意を固める。
国の歴史や文化が違っても、女でも男でも、見えない力に生き方を制限されることは「おかしい!」と感じた少女たちは、読者に訴えかける。もう誰も、学ぶ機会を奪われてひどい目に遭うことがないように。本を読む喜びを奪われることがないように。女の子がいる場所からの願いを知ることから始めたい。 (南館 大西)

『脳を創る読書』酒井 邦嘉/著(実業之日本社)2017年刊行 一般書 S019.1【本館所蔵】

子どもの頃の読書活動の効果に関する調査研究(国立青少年教育振興機構・青少年教育研究センター)によると、読書のツールに関係なく、読書している人はしていない人よりも意識・非認知能力が高い傾向があり、本(紙媒体)で読書している人の意識・非認知能力は最も高い傾向があることが報告されている。
本書は、言語脳科学の第一人者である著者が、脳の不思議と「読書」の関係について、<読書は脳の想像力を高める><脳の特性と不思議を知る><書く力・読む力はどうすれば鍛えられるのか><紙の本と電子書籍は何がどう違うか><紙の本と電子書籍の使い分けが大切>の5章に分けて具体例を交えながら、時には、図やクイズなども用いて、私達にわかりやすく紐解いてくれている。
本書を通して、著者が繰り返し伝えていることがある。それは、「自分の言葉で考える」ということだ。例えば、『「読む」ということは、単に視覚的に脳に入力するというのではなく、足りない情報を想像力で補い、あいまいなところを解決しながら「自分の言葉」に置き換えていくプロセスなのだ―』や、『自分で考えて書き、書いて考える、そうした時間がないと、知識は自分のものにならない』などである。
読書を通じで想像力を培うことで言語能力も同時に鍛えられ、その言語能力に裏打ちされた思考力が確かになる。このことが「脳を創る」ということなのだ。      
「自分の言葉で考える」過程で創られた読書脳は、様々な場面で問われている決断に活かされ、未来の幸せに向かう力となるだろう。 (本館 二井)

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン/著 上遠 恵子/訳(新潮社)1996年刊行 一般書 404【両館所蔵】

著者のレイチェル・カーソンといえば『沈黙の春』を書いたことで有名なベストセラー作家かつ海洋生物学者ですが、その出版後、彼女はガンにおかされながら、姪の息子、ロジャーのために次作を執筆し始めました。しかし残念ながら、執筆途中で亡くなってしまい、未完成の原稿が残りました。そんな彼女の残したメッセージを世に出そうと、友人たちが原稿を整え、写真をつけて出版したのが、『センス・オブ・ワンダー』です。
本書は、著者がロジャーと一緒に海辺を歩き、森の中を探索したことなどをもとに書かれていて、「センス・オブ・ワンダー」とは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と訳されています。そして「この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」と綴られています。
大人は、子どもに多くの知識を授けよう、身に付けさせようと思う一方で、自分たちがどのように子どもたちを教育したらよいかわからない、と悩むものだと思います。しかし、著者は、豊かな感受性を育むために、自然の神秘さや不思議さへの感動を子どもと分かち合うことが大切であり、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要でない」と説いています。子どもたちにとって何より大切なのは、その子の好奇心に寄り添い、その感性に共感することであり、豊かな感性という土壌を作ることができれば、自然と知識も身に付き、そうして得られた知識は生涯忘れることがないのだと思います。
子どもたちにとって大切なことは何か、そして今、最大の環境破壊である戦争が起きている中で、どのように子どもたちの感性を育んでいくべきか。驚くほど豊かな感性にあふれた著者の文章にふれながら、自分の「センス・オブ・ワンダー」を磨いていきたいと思いました。 (本館 杉谷)

『パパラギ』ツイアビ/著 岡崎 照男/訳(学研プラス)2021年刊行 児童書 361.5【南館所蔵】

本書は、南の島サモアの族長ツイアビ氏が初めてヨーロッパを旅したときに感じた文明国の印象をまとめたものである。タイトルの「パパラギ」とは、サモアの言葉で「文明国に暮らす人々」のことを指す。
本書を読むと、ツイアビ氏がパパラギの暮らしに対して驚きを感じたことが伝わってくる。パパラギはせっせと家を建て、都市を作り、文明を築いている。ヨーロッパには、映画館、新聞、本、鉄道、電話といった南の島の暮らしにはない便利なものがあふれている。しかし、ツイアビ氏はそれらを礼賛することはない。むしろ便利になればなるほど、パパラギが失ってしまったものがたくさんあることに気づいている。
たとえば、常に時間は流れているはずなのに、パパラギは時計を見ては「時間がない」と焦り、「もっと時間があればいいのに」と不平不満を言う。ただ時の流れるままに今を楽しめばいいということを忘れてしまっている。そして、お金にやたらと執着して、自分よりも貧しい仲間がいても分け与えようという気持ちをなくしてしまっている。さらには、新聞や本に書かれた知識をため込んで、常に忙しく頭で考えることばかりしている。ただ身体と心で世界に触れて楽しむことができなくなってしまっている。
ツイアビ氏はこのようなパパラギの暮らしに疑問を投げかけ、南の島の人々に「いったいだれが私たちより豊かだろう」と問いかけている。
本書が書かれたのは今から100年も前のことだ。しかし、現代を生きる私たちが読んでもハッとさせられる部分も多い。ツイアビ氏の言葉には、本当の豊かさとは何なのだろうと、人々を立ち止まらせるだけの力がある。自分にとっての当たり前を疑い、時には振り返ることの大切さを伝えてくれる。 (本館 福田)

『ほんのきもち』朝吹 真理子/ほか著(扶桑社)2018年刊行 一般書 914.68ホ【本館所蔵】

日常の中で、誰かの家にお邪魔する際に手土産を持って行く、旅行のお土産を渡す、遠方の家族へ仕送りする、作り過ぎた食べ物をおすそ分けするなど、ほんのきもちとして誰かに贈り物をすることがあると思います。
本書は、そんな「ほんのきもち」がテーマのアンソロジーとなっていて、16人の作家や漫画家、編集者たちの贈りものにまつわる短いエピソードが載っています。もらうと嬉しい差し入れの話、贈りものにコンプレックスを感じている話、日常的な気軽な贈り物を「小歳暮」と呼んで楽しんでいる話、家にやってきた犬がもたらした形のない贈り物の話など、テーマは同じでも書く人によって異なり、様々な見方や感じ方を楽しむことができます。
なかでも、甲斐みのりさんの手土産選びの話では、贈り物選びを楽しむコツが紹介されていて、誰かに贈り物を贈りたくなりました。甲斐さんが講師をされている「手みやげ講座」では“自分らしい定番手みやげ”候補として、(1)生まれた土地の物、(2)今暮らす家(職場)の近所で買えるものを発表してもらうのだそうです。ついつい高価で良いものを選ぼうとして、あれこれ悩んで探し回ることもあるのですが、それが必ずしも良いものとは限らないし、自分の身近なものや思い出とともに選ぶほうがより気持ちが伝わりやすいのかもしれないと読んでいて感じました。
本書に登場する贈り物はどれも素敵で、個人的には坂木司さんがちょっとしたプレゼントに選ぶという美噌元の「美噌汁最中シリーズ」が気になっています。
思いがけずもらう贈り物の嬉しさや、相手を思い浮かべながら何を贈ろうかと考えるワクワク感、贈り物を渡すときのドキドキ感など、様々な感情が混ざり合う「ほんのきもち」を皆さんもぜひ味わってみてください。 (本館 神村)

『国境のない生き方私をつくった本と旅』ヤマザキ マリ/著(小学館)2015年刊行 一般書 726.101【両館所蔵】

古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』の大ヒットで一躍有名となったヤマザキ氏は、多くの著書やテレビでその博識ぶりや母の破天荒な子育てエピソードを披露しているが、本書では彼女の旅の遍歴とそこで出合った本について語っている。
ヴィオラ奏者だった著者の母は、娘が生きていくための教養を得るには「大自然と旅と書物」が必要だと気づき、幼い娘2人を連れて東京から北海道へ移り住むことを決断する。それが旅の始まりだった。
北海道の雄大な自然を駆け回った少女時代、スウェーデンの児童文学『ニルスのふしぎな旅』に自分を重ね、主人公のように鳥の背中に乗って空を飛び、動物の世界で生きることを夢想した。詩人の彼と同棲しながらイタリアのアカデミアで絵を学び、文壇サロンに入り浸った17歳から10年間の貧乏な青春時代を支えてくれたのは、各国から集った知識人に勧められて読んだ安部公房と三島由紀夫。出産を機に日本に戻り、漫画家として歩み出して気づいたのは小松左京や星新一に代表される日本SFの素晴らしさ。夫に伴って赴いたシリアで見たのは『アラビアン・ナイト』さながらの人々の暮らしだった。この世界がどんなに広いかをこの目で確かめる旅路のなかで、生活習慣も宗教も考え方も違う人々とたくさん出会い、ときには価値観の違いにぶつかり合いながらも「わかり合いたい」と願う彼女の傍にはいつも本があり、彼女を支え、鍛えてくれた。
地球サイズの地図を携え、人と本との出合いによって身につけた教養と審美眼で生きることを教えてくれた母が娘たちに繰り返し伝えた「他人の目に映る自分は、自分ではない」というメッセージが胸に残る。他人の目から自由でいるためには、まだ見ぬ世界への扉を開き、自分の感性を信じるに足るものに育てなければならない。さあ、自分を鍛えてくれる本を探しに、一歩踏み出そう。 (南館 大西)

『徳川家康-江戸の幕開け-』松本 清張/文 八多 友哉/さし絵(講談社)2017年刊行 児童書 289.1ト【両館所蔵】

ふとしたきっかけから思いがけない一冊と出合うことがある。現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」を見る前に、小説を読もうと思い立ち、何がいいかと調べてみた。「徳川家康」と言えば、山岡荘八著(全26巻)を思う人が多いだろう。他にも、司馬遼太郎や隆慶一郎、安倍龍太郎等、名だたる歴史小説家が名を連ねる中、推理小説作家としてのイメージが強い松本清張の名に目がとまり、その意外性から手に取って読んだのが、本書である。徳川家康の一生を、彼が生きてきた時代や同時代を生きた彼と関係の深い人物などを織り交ぜながら、その人間像を浮かび上がらせた歴史小説(伝記)であり、丁寧な解説と描写でわかりやすく書かれていて大人にも十分読み応えのある児童書だ。
家康が幼い時に母と生き別れ、11年間も人質として他国にやられたことや、織田信長の死後、豊臣秀吉に先に天下を取られたために40歳から21年間も辛抱することになった場面などでは、「苦労することの意味」や「苦難に負けない辛抱強さ」など著者自身の言葉で説いている部分が見受けられる。子ども達へのメッセージとしてだが、大人が読んでもストンと胸に落ちる説得力と愛情を感じて、著者に励まされているような気持ちになった。
信長、秀吉、家康、三者三様の天下取りは見どころで、特に家康が信長、秀吉と決定的に違った「改革(組織力)」について興味深く読み進んだ。辛抱強く苦労を乗り越える力や、天下人を立てつつも自分というものはしっかり持って、学問や読書を修養し、質素倹約、感情によって行動することを戒めとした家康の人間像を知ることができるエピソードも満載である。晩年焦りが出て、短気で感情的になる場面などの描写もまた、著者ならではの味が出ていて、家康という人間により引き込まれていった。人間を多面的に捉え、その深奥に触れることができる松本清張の世界を是非味わってもらいたい。(本館 二井)

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