司書のおすすめ(「図書館だより」より)
更新日:2023年12月4日
毎月発行している「図書館だより」に掲載した「司書のおすすめ」です。本選びの参考にしてください。
資料によっては、貸出中の場合があります。詳しくはお問い合わせください。
- 『聞く技術 聞いてもらう技術』東畑 開人/著 (図書館だより2023年12月号より)
- 『女の子がいる場所は』やまじ えびね/著 (図書館だより2023年11月号より)
- 『脳を創る読書』 酒井 邦嘉/著 (図書館だより2023年9月号より)
- 『センス・オブ・ワンダー』 レイチェル・カーソン/著 上遠 恵子/訳 (図書館だより2023年8月号より)
- 『パパラギ』 ツイアビ/著 岡崎 照男/訳 (図書館だより2023年7月号より)
- 『ほんのきもち』 朝吹 真理子/ほか著 (図書館だより2023年6月号より)
- 『国境のない生き方 私をつくった本と旅』 ヤマザキ マリ/著 (図書館だより2023年5月号より)
- 『徳川家康-江戸の幕開け-』 松本 清張/文 八多 友哉/さし絵 (図書館だより2023年4月号より)
- 『料理大好き小学生がフランスの台所で教わったこと』 ケイタ/著 (図書館だより2023年2月号より)
- 『我が友、スミス』 石田 夏穂/著 (図書館だより2023年1月号より)
- 『あいまい・ ぼんやり語辞典』 森山 卓郎/編 (図書館だより2022年12月号より)
『聞く技術 聞いてもらう技術』東畑 開人/著(筑摩書房)2022年刊行 361.454【両館所蔵】
「なんでちゃんと聞いてくれないの?」という言葉を耳にしたり、感じたりしたことはありませんか?パートナーや家族、職場の人との関係が上手くいかなかったり、政治や社会問題で人と対立したりする時、人は正常に「聞く」ことができなくなってしまうそうです。
本書は、臨床心理士である著者が、人の話が聞けない、あるいは人に話を聞いてもらえない原因を紐解き、「聞く」ために必要なことや「聞く」ことのちからについて分かりやすく解説しています。
聞く技術として、「眉毛にしゃべらせよう」や「返事は遅く」など12の小手先の技術が紹介されています。しかし、これは人の話をちゃんと聞ける時に使える技術であって、自分のことに必死で人の話を聞く余裕がない時には通用しないのです。
話を聞けない要因には、「孤独」が大きく関係しているといいます。全身やけどを負ったある少女が治療で激しい痛みに苦しんでいる際に、ただ聞いてもらうだけで前よりもずっと痛みに耐えることができたそうです。自分の孤独を誰かが分かってくれていることで心にゆとりが生まれます。そこで、著者は、<「聞く」ためにはまず「聞いてもらう」ことからはじめよう>と言っています。特に当事者同士ではなく、第三者に聞いてもらうとよいそうです。聞いてもらう技術については、日常編と緊急事態編の二つに分けて紹介されています。
「聞いてもらえているから、聞くことができる。つながりの連鎖こそが必要です。」という言葉に、人と人とのつながりは大切だと改めて気づかされました。話を聞いてもらえる人がいることはとてもありがたいことであり、反対に誰かの話を聞くことはその人にとってとても大きな支えになると感じました。対人関係で悩んでいる人は多いと思います。心に大きな傷を負う前に、まずは「聞いてもらう」から始めてみませんか?(本館 神村)
『女の子がいる場所は』やまじ えびね/著(KADOKAWA)2022年刊行 一般書 726.1ヤ【本館所蔵】
2006年から毎年、世界各国の「ジェンダーギャップ指数」が発表されている。2023年、日本の順位は146か国中125位で、過去最低だった。そんな話をニュースなどで見聞きするたび「問題だ」とは思うものの、ジェンダー問題を取り上げた本には敷居の高さを感じてしまう人に、まず本書をすすめたい。
本書は、困難な環境で生きる女性をモチーフにした漫画を多く手掛けている漫画家やまじえびねが、新しい担当編集者からの提案に応えて描いた短編漫画作品である。物語の舞台はサウジアラビア、モロッコ、インド、アフガニスタン、そして日本。それぞれの国の10代の女の子が「女の子だから」直面する疑問、違和感、悔しさが、女の子の視点で描かれている。
モロッコに住む小学4年生のハビーバは、メガネをかけている。おばあちゃんの古い友人であるシャマおばさんに「娘の人生は容姿に左右される。勉強ができるなんて男の反感を買うだけ」と言われて憤慨するが、シャマおばさんの背中にある大きな傷跡が「字が読めない」ことによってできたものだと知り、苦しく悲しい気持ちになる。インドの少女カンティは、ママの再婚でお姫さまのような部屋を手に入れた。家事や弟の世話で学校を休みがちだったのが一変して、ミッションスクールに通い、家庭教師もつけてもらっている。しかし、何不自由ない生活を与えてくれる新しいパパには、困窮する女性の弱みにつけ込む一面があった。自分には何もできないのかと嘆くカンティは、ある決意を固める。
国の歴史や文化が違っても、女でも男でも、見えない力に生き方を制限されることは「おかしい!」と感じた少女たちは、読者に訴えかける。もう誰も、学ぶ機会を奪われてひどい目に遭うことがないように。本を読む喜びを奪われることがないように。女の子がいる場所からの願いを知ることから始めたい。 (南館 大西)
『脳を創る読書』酒井 邦嘉/著(実業之日本社)2017年刊行 一般書 S019.1【本館所蔵】
子どもの頃の読書活動の効果に関する調査研究(国立青少年教育振興機構・青少年教育研究センター)によると、読書のツールに関係なく、読書している人はしていない人よりも意識・非認知能力が高い傾向があり、本(紙媒体)で読書している人の意識・非認知能力は最も高い傾向があることが報告されている。
本書は、言語脳科学の第一人者である著者が、脳の不思議と「読書」の関係について、<読書は脳の想像力を高める><脳の特性と不思議を知る><書く力・読む力はどうすれば鍛えられるのか><紙の本と電子書籍は何がどう違うか><紙の本と電子書籍の使い分けが大切>の5章に分けて具体例を交えながら、時には、図やクイズなども用いて、私達にわかりやすく紐解いてくれている。
本書を通して、著者が繰り返し伝えていることがある。それは、「自分の言葉で考える」ということだ。例えば、『「読む」ということは、単に視覚的に脳に入力するというのではなく、足りない情報を想像力で補い、あいまいなところを解決しながら「自分の言葉」に置き換えていくプロセスなのだ―』や、『自分で考えて書き、書いて考える、そうした時間がないと、知識は自分のものにならない』などである。
読書を通じで想像力を培うことで言語能力も同時に鍛えられ、その言語能力に裏打ちされた思考力が確かになる。このことが「脳を創る」ということなのだ。
「自分の言葉で考える」過程で創られた読書脳は、様々な場面で問われている決断に活かされ、未来の幸せに向かう力となるだろう。 (本館 二井)
『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン/著 上遠 恵子/訳(新潮社)1996年刊行 一般書 404【両館所蔵】
著者のレイチェル・カーソンといえば『沈黙の春』を書いたことで有名なベストセラー作家かつ海洋生物学者ですが、その出版後、彼女はガンにおかされながら、姪の息子、ロジャーのために次作を執筆し始めました。しかし残念ながら、執筆途中で亡くなってしまい、未完成の原稿が残りました。そんな彼女の残したメッセージを世に出そうと、友人たちが原稿を整え、写真をつけて出版したのが、『センス・オブ・ワンダー』です。
本書は、著者がロジャーと一緒に海辺を歩き、森の中を探索したことなどをもとに書かれていて、「センス・オブ・ワンダー」とは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と訳されています。そして「この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」と綴られています。
大人は、子どもに多くの知識を授けよう、身に付けさせようと思う一方で、自分たちがどのように子どもたちを教育したらよいかわからない、と悩むものだと思います。しかし、著者は、豊かな感受性を育むために、自然の神秘さや不思議さへの感動を子どもと分かち合うことが大切であり、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要でない」と説いています。子どもたちにとって何より大切なのは、その子の好奇心に寄り添い、その感性に共感することであり、豊かな感性という土壌を作ることができれば、自然と知識も身に付き、そうして得られた知識は生涯忘れることがないのだと思います。
子どもたちにとって大切なことは何か、そして今、最大の環境破壊である戦争が起きている中で、どのように子どもたちの感性を育んでいくべきか。驚くほど豊かな感性にあふれた著者の文章にふれながら、自分の「センス・オブ・ワンダー」を磨いていきたいと思いました。 (本館 杉谷)
『パパラギ』ツイアビ/著 岡崎 照男/訳(学研プラス)2021年刊行 児童書 361.5【南館所蔵】
本書は、南の島サモアの族長ツイアビ氏が初めてヨーロッパを旅したときに感じた文明国の印象をまとめたものである。タイトルの「パパラギ」とは、サモアの言葉で「文明国に暮らす人々」のことを指す。
本書を読むと、ツイアビ氏がパパラギの暮らしに対して驚きを感じたことが伝わってくる。パパラギはせっせと家を建て、都市を作り、文明を築いている。ヨーロッパには、映画館、新聞、本、鉄道、電話といった南の島の暮らしにはない便利なものがあふれている。しかし、ツイアビ氏はそれらを礼賛することはない。むしろ便利になればなるほど、パパラギが失ってしまったものがたくさんあることに気づいている。
たとえば、常に時間は流れているはずなのに、パパラギは時計を見ては「時間がない」と焦り、「もっと時間があればいいのに」と不平不満を言う。ただ時の流れるままに今を楽しめばいいということを忘れてしまっている。そして、お金にやたらと執着して、自分よりも貧しい仲間がいても分け与えようという気持ちをなくしてしまっている。さらには、新聞や本に書かれた知識をため込んで、常に忙しく頭で考えることばかりしている。ただ身体と心で世界に触れて楽しむことができなくなってしまっている。
ツイアビ氏はこのようなパパラギの暮らしに疑問を投げかけ、南の島の人々に「いったいだれが私たちより豊かだろう」と問いかけている。
本書が書かれたのは今から100年も前のことだ。しかし、現代を生きる私たちが読んでもハッとさせられる部分も多い。ツイアビ氏の言葉には、本当の豊かさとは何なのだろうと、人々を立ち止まらせるだけの力がある。自分にとっての当たり前を疑い、時には振り返ることの大切さを伝えてくれる。 (本館 福田)
『ほんのきもち』朝吹 真理子/ほか著(扶桑社)2018年刊行 一般書 914.68ホ【本館所蔵】
日常の中で、誰かの家にお邪魔する際に手土産を持って行く、旅行のお土産を渡す、遠方の家族へ仕送りする、作り過ぎた食べ物をおすそ分けするなど、ほんのきもちとして誰かに贈り物をすることがあると思います。
本書は、そんな「ほんのきもち」がテーマのアンソロジーとなっていて、16人の作家や漫画家、編集者たちの贈りものにまつわる短いエピソードが載っています。もらうと嬉しい差し入れの話、贈りものにコンプレックスを感じている話、日常的な気軽な贈り物を「小歳暮」と呼んで楽しんでいる話、家にやってきた犬がもたらした形のない贈り物の話など、テーマは同じでも書く人によって異なり、様々な見方や感じ方を楽しむことができます。
なかでも、甲斐みのりさんの手土産選びの話では、贈り物選びを楽しむコツが紹介されていて、誰かに贈り物を贈りたくなりました。甲斐さんが講師をされている「手みやげ講座」では“自分らしい定番手みやげ”候補として、(1)生まれた土地の物、(2)今暮らす家(職場)の近所で買えるものを発表してもらうのだそうです。ついつい高価で良いものを選ぼうとして、あれこれ悩んで探し回ることもあるのですが、それが必ずしも良いものとは限らないし、自分の身近なものや思い出とともに選ぶほうがより気持ちが伝わりやすいのかもしれないと読んでいて感じました。
本書に登場する贈り物はどれも素敵で、個人的には坂木司さんがちょっとしたプレゼントに選ぶという美噌元の「美噌汁最中シリーズ」が気になっています。
思いがけずもらう贈り物の嬉しさや、相手を思い浮かべながら何を贈ろうかと考えるワクワク感、贈り物を渡すときのドキドキ感など、様々な感情が混ざり合う「ほんのきもち」を皆さんもぜひ味わってみてください。 (本館 神村)
『国境のない生き方私をつくった本と旅』ヤマザキ マリ/著(小学館)2015年刊行 一般書 726.101【両館所蔵】
古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』の大ヒットで一躍有名となったヤマザキ氏は、多くの著書やテレビでその博識ぶりや母の破天荒な子育てエピソードを披露しているが、本書では彼女の旅の遍歴とそこで出合った本について語っている。
ヴィオラ奏者だった著者の母は、娘が生きていくための教養を得るには「大自然と旅と書物」が必要だと気づき、幼い娘2人を連れて東京から北海道へ移り住むことを決断する。それが旅の始まりだった。
北海道の雄大な自然を駆け回った少女時代、スウェーデンの児童文学『ニルスのふしぎな旅』に自分を重ね、主人公のように鳥の背中に乗って空を飛び、動物の世界で生きることを夢想した。詩人の彼と同棲しながらイタリアのアカデミアで絵を学び、文壇サロンに入り浸った17歳から10年間の貧乏な青春時代を支えてくれたのは、各国から集った知識人に勧められて読んだ安部公房と三島由紀夫。出産を機に日本に戻り、漫画家として歩み出して気づいたのは小松左京や星新一に代表される日本SFの素晴らしさ。夫に伴って赴いたシリアで見たのは『アラビアン・ナイト』さながらの人々の暮らしだった。この世界がどんなに広いかをこの目で確かめる旅路のなかで、生活習慣も宗教も考え方も違う人々とたくさん出会い、ときには価値観の違いにぶつかり合いながらも「わかり合いたい」と願う彼女の傍にはいつも本があり、彼女を支え、鍛えてくれた。
地球サイズの地図を携え、人と本との出合いによって身につけた教養と審美眼で生きることを教えてくれた母が娘たちに繰り返し伝えた「他人の目に映る自分は、自分ではない」というメッセージが胸に残る。他人の目から自由でいるためには、まだ見ぬ世界への扉を開き、自分の感性を信じるに足るものに育てなければならない。さあ、自分を鍛えてくれる本を探しに、一歩踏み出そう。 (南館 大西)
『徳川家康-江戸の幕開け-』松本 清張/文 八多 友哉/さし絵(講談社)2017年刊行 児童書 289.1ト【両館所蔵】
ふとしたきっかけから思いがけない一冊と出合うことがある。現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」を見る前に、小説を読もうと思い立ち、何がいいかと調べてみた。「徳川家康」と言えば、山岡荘八著(全26巻)を思う人が多いだろう。他にも、司馬遼太郎や隆慶一郎、安倍龍太郎等、名だたる歴史小説家が名を連ねる中、推理小説作家としてのイメージが強い松本清張の名に目がとまり、その意外性から手に取って読んだのが、本書である。徳川家康の一生を、彼が生きてきた時代や同時代を生きた彼と関係の深い人物などを織り交ぜながら、その人間像を浮かび上がらせた歴史小説(伝記)であり、丁寧な解説と描写でわかりやすく書かれていて大人にも十分読み応えのある児童書だ。
家康が幼い時に母と生き別れ、11年間も人質として他国にやられたことや、織田信長の死後、豊臣秀吉に先に天下を取られたために40歳から21年間も辛抱することになった場面などでは、「苦労することの意味」や「苦難に負けない辛抱強さ」など著者自身の言葉で説いている部分が見受けられる。子ども達へのメッセージとしてだが、大人が読んでもストンと胸に落ちる説得力と愛情を感じて、著者に励まされているような気持ちになった。
信長、秀吉、家康、三者三様の天下取りは見どころで、特に家康が信長、秀吉と決定的に違った「改革(組織力)」について興味深く読み進んだ。辛抱強く苦労を乗り越える力や、天下人を立てつつも自分というものはしっかり持って、学問や読書を修養し、質素倹約、感情によって行動することを戒めとした家康の人間像を知ることができるエピソードも満載である。晩年焦りが出て、短気で感情的になる場面などの描写もまた、著者ならではの味が出ていて、家康という人間により引き込まれていった。人間を多面的に捉え、その深奥に触れることができる松本清張の世界を是非味わってもらいたい。(本館 二井)
『料理大好き小学生がフランスの台所で教わったこと』 ケイタ/著(自然食通信社)2020年刊行 一般書 293.5【本館所蔵】
本書は、小学5年生のケイタくんが料理を学ぶためにフランスへ行き、そこで感じたことや友人に教わった料理を、ケイタくん本人がまとめた旅の記録です。
長野県の小さな村で暮らすケイタくんは、料理をすることが大好きで、お父さんが営む農家を手伝うボランティアの人たちから料理を教わることもあります。特にそのうちの一人で、フランス人シェフのジェレミーに作ってもらった料理がとても美味しく、フランス料理に興味をもつようになります。そんなケイタくんが5年生になる前の春休み、生死をさまようほどの腸閉塞を患ったことで、「フランスに行って本格的な料理を食べてみたい」と強く思うようになります。その思いを実現させるため、クラウドファンディングに挑戦し、自分でもお金を貯めて、2020年2月、自分で作ったマイ包丁を手に、学校を休んで料理を学ぶためにフランスへと向かいます。
フランスの友人の家を訪ね、一緒に料理や食事をする様子や、教わった料理のレシピが写真付きで紹介されています。「クロワッサンはでかくてクロワッサンぽくないし、ジュースは日本と違って生あたたかかった。でもおいしかった。」など、正直な感想に子どもらしさを感じつつも、読んでいると、ケイタくんの行動力、たくましさ、チャレンジ精神に驚かされ、「子どもだっていろんなことができるんだなぁ」と関心させられます。料理修行の中で、いろんな出会いと気付きを得たケイタくんだから表現できる思いや言葉が詰まっています。
一人の男の子の好奇心がきっかけで生まれた本書は、自分で実際に見て味わいながら学んでいく子どもの成長記録にとどまらず、子どもが興味をもてば幼くてもさせてあげようとする親や大人たちの姿も素敵で、子育てや子どもとの関わり方の参考書としても読み応えがあります。 (本館 神村)
『我が友、スミス』 石田 夏穂/著(集英社)2022年刊行 一般書 913.6イ【本館所蔵】
本作が第166回芥川賞にノミネートされたとき、私はタイトルの印象から「スミス」という外国人との交流を描いた歴史物語だろうかと想像した。しかし、スミスとは人の名前ではなく、バーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシン「スミス・マシン」のことだった。これは、現代的なテーマを切り取った、筋トレに励む一人の女性の物語だ。
29歳の会社員U野は、黙々と背中を鍛えていたある日、元ボディ・ビル選手の女性О島から声を掛けられる。О島が新しく立ち上げるジムに入会し、一緒にボディ・ビル大会出場を目指さないかというのだ。真新しいジムを見学に行くと「スミス・マシン」が3台も備えられていた。仲間と群れず一人で鍛えたいU野には、補助してくれる人を付けずに負荷の高いトレーニングを行うことができる「スミス」は、必要不可欠な存在なのだ。そして、О島はU野を覚醒させる一言を囁く。「うちで鍛えたら、別の生き物になるよ」と。
週7日の筋トレと食事管理を行うと同時に、U野はこれまで興味を持ったこともなかった美容にも取り組むことになる。元ミス・ユニバース日本代表E藤の指導の下、大会に勝つために、髪を伸ばし、ピアスを開け、脱毛し、日焼けサロンに通う。そうして日に日に変わっていくU野の姿に彼氏ができたと勘繰る男性同僚が投げかけた「女性は大変ですね」という発言は、彼女の心に深く突き刺さった。
物語は、U野の一人語りで進んでいく。そのほとんどは、表には出ないU野の心の声だ。ポーカーフェイスで、地味で、馬鹿真面目な一匹狼と自分を評するU野だが、心の声はいつも少しテンションが高い。テンポよく繰り出される言葉の数々がおもしろく、筋トレに詳しくない読者にも、知らない世界を覗く楽しさを与えてくれる。
E藤から告げられた「あなたが考えているより、この競技は、ずっとクラシックなのよ」の意味を噛みしめながら大会に出場したU野が、闘いの末に至った結論はとても清々しく、拍手喝采を送りたくなった。(南館 大西)
『あいまい・ぼんやり語辞典』 森山 卓郎/編 (東京堂出版) 2022年刊行 一般書 814【本館所蔵】
日本語には、二通り以上の解釈ができて意味が一つに決まらない「曖昧」な言葉と、解釈に幅ができてしまう「ぼんやりとした」言葉があります。本書では、編者を中心に言語を専門とする専門家が日本語の曖昧でぼんやりとした表現を紹介しています。
例えば、日常的に使う「ちょっと」。ちょっと大きい、ちょっとお腹がすいた、ちょっと遅れる、の他にも、この書類ちょっとわかりにくいね、今夜はちょっと飲みに行けない、など様々な場面で使っている言葉ですが、改めて意味について考えたことはないかもしれません。前半の「ちょっと」は「少し」に置き換えられるのに対し、後半の「ちょっと」は相手への配慮から表現を柔らかくする役目を果たしています。
また、最近若い人を中心によく使われる「ヤバい」は、かつては危険や不都合が予測される否定的な意味で用いられていましたが、肯定的な意味合いで使われることが多くなっています。実際に大学生95名に「ヤバい」を良い意味で使うことがあるかを尋ねたところ、91名が「ある」と答えたそうです。カタカナとひらがなで区別することもできず、文章からはもちろん、口頭でも良い「ヤバい」なのか悪い「ヤバい」なのかを判別することは難しいのですが、なんとなく通じるのが日本語の特性と言えるかもしれません。
日本語の習得は数ある言語の中でも難しいと言われていますが、本書を読むと、なるほどその通りだと言わざるをえません。大抵のことが「Yes」か「No」で表現できる外国語に対し、行間を読むことが美徳とされる日本の文化や習慣が日本語に表れている気がします。皆さんも普段何となく使っているけれど、よくよく考えてみるとはっきりしない表現だと思うことがあるのではないでしょうか。曖昧でぼんやりした表現はトラブルになることもあれば、相手を思いやることにも繋がります。言語本来の意味を知れば、どの場面で使うのが最適かきっと見えてくるはずです。日本語に込められた奥深い言葉の意味をお楽しみください。(南館 塩崎)
お問い合わせ
教育委員会事務局 図書館 市立図書館(本館)
〒525-0036滋賀県草津市草津町1547
電話番号:077-565-1818
ファクス:077-565-0903
